スタッフ紹介

院長 卯城 博章(ひろちゃん)

  • 出身地:北海道上川郡
  • 趣味 :旅行、グルメ、読書、映画鑑賞、料理
  • 座右の銘:人生は思い出づくり

整体師歴:16年  施術人数:延べ15,000人

「もっと早く来ればよかった!」と言われる整体師。2014年から9年ほど伊達市、室蘭市で「こころホッと」という整体院兼エステサロンを2店舗運営。2023年3月に譲渡し、現在は一人整体院を運営。2023年12月 介護福祉事業を行う(株)由希 取締役に就任。

旭川高専→筑波大学編入→筑波大学大学院 修士課程中退。学生時代はずっと工学系にいました。

僕が整体を始めた理由

僕が仕事として整体を選んだ理由はいくつかあります。
少し振り返って、お話してみましょう。

大学生時代の人との出会い

僕は大学在学中の3〜4年次に
セラピスト、アロマセラピストの人たちに出会う機会があり、
そこから「お客さんと1対1で向き合うような仕事が良いな」と思うようになった。

当時、コーチング・カウンセリングといった心理・メンタル系に興味があった。
筑波大学に通っていたが、学生起業ブームみたいなものがあり、
東京で行われていた起業セミナーなどによく顔を出すようになった。

その時に、コーチングに出会った。
コーチングのセミナーや合宿などにも参加した。
(コーチングと自己啓発のミックスみたいな合宿だった)

そこで出会ったトレーナーは未だに尊敬している。
リアルで出会った、「かっこいい大人」のひとりだった。

その時から、人が大きく変わっていく可能性を見つけて、
コーチングやカウンセリングに興味を持つようになった。

そして、就活前後くらいになり、
あまり大企業への就職は向いていなさそうと自分で思っていた。

「心と身体はひとつ = 心身一如」という言葉と出会っていたこともあいまって
「じゃあ、まずは身体から学び始めるか」とわりと軽い気持ちでリラクゼーションサロンに飛び込む。

高校時代のケガ、不思議な整体の先生との出会い

僕は高校に行く代わりに5年制の高専に行っていた。
部活はバレーボール部に入っていたが、
2年の時に高体連近くになって、ひどい捻挫をしてしまった。

そこで、顧問の先生に近くの整体院に連れて行ってもらって、治療を受けた。

そこの先生は「長生館」という流派?の整体だったが、とても上手だった。
今思うと、どんな考えで治療していたのかわからないけれど、
カイロプラクティックでいうとディバーシファイド系の全身ボキボキ系+あん摩系の治療だった。

治療を受けたあとはとてもスッキリして、
テーピングをすれば走ったりジャンプしたりできるくらいになった。

3年生になっても、確か同じ時期に、
今度は反対の足をまた捻挫した。
そしてまたその先生のお世話になった。

先生は「学生料金だから」といって1000〜2000円くらいでやってくれていた気がする。

その先生は施術中にたまに心理テストを出してきた。
そして、よく質問して話を聞いてくれたし、
僕も当時はあまり自分の内面についてうまく説明できなかったと思うけど、
話したあと、不思議とスッキリしていた。

今思えば、この先生の整体のスタイルは、
今のスタイルにつながっていたのかもしれないと思う。

そのおじさん先生との出会いもあって、
「整体ってすごいな」とうっすら思ったのを覚えている。

が、この時点ではまさか自分が仕事に整体を選ぶなどと夢にも思っていない。

2018年、訪問したときに先生と。先生はあまり変わっていない。

子供時代のじいちゃんとの関わり

じいちゃんは僕の世界を作ってくれた、とても尊敬している人。
実家のある小さな田舎町の中で、ばあちゃんと一緒に建設会社を始め、たくさんの人に慕われていた。

じいちゃんと僕

じいちゃんは若い頃たくさん働いた。
ばあちゃんからもとても働きものだったと聞いていた。
じいちゃんは一生懸命働いて、じいちゃんの会社ではたくさんの人が働いていた。
じいちゃんの会社は現在、父が継いでいる。

この写真のときのじいちゃんは、きっとまだ元気だった頃。
このあとじいちゃんは脳梗塞になって、半身不随になった。

そして、じいちゃんはリハビリを頑張って、
杖をつきながら歩き、
半身不随ながら、車を運転できるくらいになっていた。

よく、あん摩さんに通うようになった。

あまりあん摩さんに一緒に行った覚えはないけれど、
肩をたたいたり、揉んであげたりしていたような気がする。

それはあまり意識していないけれど、
僕の中の原体験になっているのかもしれない。

LECとの出会い

大学卒業後、前妻に誘われて、一緒に自宅でサロンを開くことになった。
そしてその前に、僕はリラクゼーションサロンに修行しに行くことにした。

そこではリフレクソロジー、タイ古式マッサージ、もみほぐしのメニューがあり、
それらを覚えた。1年弱しかいなかったが、ずいぶんいろんなお客さんがいた。

そこでは、仲間のセラピストたちの入れ替わりが激しく、
身体を壊す人も多かった。

お客さんに直接喜んでもらえる仕事だけに
とてもやりがいも楽しさも感じていた反面、
「これは何かがおかしい」とも感じていた。

その後、神奈川県相模原市でリラクゼーションサロンをオープンするも1年半ほどで閉店。
色々ありすぎて端折るが、3.11の時に茨城で被災し、北海道に移住。

移住してから、2014年頃に「整体院・エステサロン こころホッと」を開店。
毎日満員御礼の状態が続く様になる。

働きすぎてちょっと疲れる。
エステで脱毛を始めて、少しずつうまくいき始める。

2017年、本田健さんの「次元上昇プログラム」に参加する。
そこで他の参加者の人たちから、
「ヒロは絶対タカに会ったほうがいいよ!!」と何人にも言われ、
たまたま座った席の前の席に座っていた、LEC創始者の三上隆之さんに出会う。

その次の年の2018年、LECベーシックセミナーが開講されると聞き、受講する。

本田健さん・三上隆之さんと。2024年、三上隆之さんの出版記念講演会にて

僕がLECに惹かれた理由

これもいくつかあると思うけど、僕の大きな願いとして、
「どの人もありのままで自由に生きて欲しい」
というものがある。

それは、
「誰かが誰かをコントロールするのはナンセンスだ」
という感覚から来ている感じがする。

僕はLECは
「人々がより楽になり、健康になり、自由になれるツール」
だと思っている。

僕は「自由」になりたかった。
とても自由を求め、自由に憧れていた。
何かに縛られるのは嫌だった。

LECはそれを叶えてくれるものだった。

整体師になり、身体から探求を始めたけれど、
結局、身体を治していくためには、
内臓や自律神経の状態を良くしてかなければ行けなかった。

内臓や自律神経を良くしていくには、
日常の生活が乱れていると、なかなか治っていかなかった。

日常の生活を作っているのは、
その人の思考や感情といった、
コンピュータで言えば「ソフトウェア」の部分だった。

「肉体」という「ハードウェア」を治したいと思っていたけれど、
そのためには「精神・メンタル」という「ソフトウェア」にもアプローチが必要だった。

これまで、いろいろな整体、心理学、コーチングなどのセミナーに参加して、
断片的に「肉体は肉体だけ」、「メンタルはメンタルだけ」を扱って、
それぞれを調整する方法は学んできたけれど、
結局すべてを一つの理論の中で扱うことはできなかった。

でも、LECはそれができた。

僕は身体から入って、メンタルを扱うようになり、
LECは人間のすべてを統一的に、ホリスティック(全人的)に扱うことができる、
僕が現在知りうる限りのひとつの到達点だと感じている。

だから僕はLECを選んだし、
これ以上に統合的に「人を診る」ということをしている体系を知らない。

整体から入って、筋肉、骨格、内臓、神経と扱い、
メンタルはメンタルで精神・心理についても別で学んできた。

でも本当は20歳の頃に出会った通り、「心身一如」であるはずだから。

ずっとその糸口を探していた。
それはタカさんが既に体系化してくれていた。

きっとこれでたくさんの人がもっと囚われから自由になり、
「その人も気づいていない、最高の人生の可能性を引き出していける」と思った。

僕自身ももっと最高の人生を描き、
クライアントの最高の人生をサポートし、サポートし続けられると感じている。

そうなったら、とっても幸せだな、と思う。

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