プロフィール

院長 卯城 博章(ひろちゃん)

  • 出身地:北海道上川郡
  • 趣味 :旅行、グルメ、読書、映画鑑賞、料理
  • 座右の銘:人生は思い出づくり

整体師歴:18年  施術人数:延べ15,000人

「もっと早く来ればよかった!」と言われる整体師。2014年から9年ほど伊達市、室蘭市で「こころホッと」という整体院兼エステサロンを2店舗運営。2023年3月に事業譲渡し、現在は一人整体院を
運営。
2023年12月 介護福祉事業を行う(株)由希 取締役に就任。

旭川高専→筑波大学編入→筑波大学大学院 修士課程中途退学。学生時代はずっと工学系にいました。
物理・数学が好きで、大学院は情報系でした。

僕が整体を始めた理由

僕が仕事として整体を選んだ理由はいくつかあります。
少し振り返って、お話してみましょう。

大学生時代の人との出会い

高専を卒業して、大学3年生に編入した僕は、
高専のときと同じ様に、それなりに勉強して、
それなりにサークル活動を頑張ろうと思っていました。

が、しかし。

3年生に入って半年後の秋くらいには、
せっかく入った大学の授業が
全く楽しくなくなっていました。

高専のときは専門科目の勉強がとても楽しくて、
面白くない授業もあったけど、
「嫌だなぁ、楽しくないなぁ」
みたいな感覚はありませんでした。

それが、あんなにワクワクしていた入学の半年後に
そんなに楽しくなくなっているなんて思いもよりませんでした。

それでなんとなく虚しくなってしまった僕は
当時、学生起業ブームみたいなものがあり、
東京で行われていた起業セミナーなどに
顔を出すようになっていきました。

そのときに出会ったのが、セラピスト、アロマセラピストの人たちでした。
そこから「お客さんと1対1で向き合うような仕事が良いな」と思うようになっていきます。

参加したいくつかの起業セミナーなどの中で、
コーチングに出会いました。

コーチングのセミナーや合宿などにも参加しました。
(コーチングと自己啓発のミックスみたいな合宿だった)

そこで出会ったトレーナーは未だに尊敬しています。
リアルで初めて出会った、「かっこいいと思える大人」のひとりでした。

その時から、人が大きく変わっていく可能性を見つけて、
コーチングやカウンセリングに興味を持つようになりました。

そして、4年生、就活をするタイミングになり、
「自分はあまり大企業への就職は向いていなさそう」
と漠然と思っていたので、別の道を探すことにしました。

「心と身体はひとつ = 心身一如」
という言葉と出会っていたこともあいまって
「じゃあ、まずは身体から学び始めてみるか」
と割と軽い気持ちでリラクゼーションサロンに
飛び込んでみることにしました。

高校時代のケガ、不思議な整体の先生との出会い

高専に通っていた頃の話に少しだけさかのぼります。

僕は高校ではなく、5年制の高専に進学しました。
部活はバレーボール部。

当時はかなり力を入れてやっていて、
2年生の高体連が近づいていたある日。

練習中にけっこう派手に足をひねってしまいました。

手術こそしませんでしたが、
簡易的なギプスを包帯でぐるぐる巻きにして、
松葉杖を使わないと歩けないくらいでした。

そのとき初めて、顧問の先生に
近所の整体院に連れて行ってもらいました。

緊張していたけれど、そこにいたのは、
飄々とした感じのおじさん先生でした。

今思えば、「長生館」という流派の整体だったらしいのですが、
当時の僕には何がどう効いているのかなんて分からなかった。

ただ、全身をバキバキ鳴らすカイロっぽさと、
あん摩的な手技の組み合わせで、
終わる頃にはとにかくスッキリしていました。

その先生のところに数回通っていくうちに、
テーピングをすれば、普通に走れるし
ジャンプもできるようになりました。

それから1年後、また同じ時期に、
今度は反対の足を捻挫してしまいました。

今回もまた同じくらいひどい捻挫で、
松葉杖を使わないといけないくらいでした。

そして、結局またその先生のところに通うことになりました。

そのおじさん先生は施術中によく心理テストを出してきたり、
いろいろ話を聞いてくれました。

当時の僕は自分の気持ちを言葉にすることが苦手でしたが、
なぜか話していると心が軽くなるような感覚がありました。

身体だけではなく、
気持ちの部分まで少し整っていく感じがしていました。

今振り返ると、その経験が今の自分のスタイルに
つながっているような気がします。

「整体って、すごいな」

そう思ったのが最初だったけれど、
まさか自分が将来この道を選ぶことになるなんて、
当時は思いもしませんでした。

2018年、訪問したときに先生と。先生はあまり変わっていない。

子供時代のじいちゃんとの関わり

じいちゃんは僕の世界を作ってくれた、
とても尊敬している人。

実家のある小さな田舎町の中で、
ばあちゃんと一緒に建設会社を始め、
たくさんの人に慕われていた。

じいちゃんと僕

じいちゃんは若い頃たくさん働いた。
ばあちゃんからもとても働きものだったと聞いていた。
じいちゃんは一生懸命働いて、
じいちゃんの会社ではたくさんの人が働いていた。
じいちゃんの会社は現在、父が継いでいる。

この写真のときのじいちゃんは、きっとまだ元気だった頃。
このあとじいちゃんは脳梗塞になって、半身不随になった。

そして、じいちゃんはリハビリを頑張って、
杖をつきながら歩き、
半身不随ながら車を運転できるくらいになっていた。

よく、あん摩さんに通うようになった。

あまりあん摩さんに一緒に行った覚えはないけれど、
肩をたたいたり、揉んであげたりしていたような気がする。

それはあまり意識していなかったけれど、
僕の中の原体験になっているのかもしれない。

LECとの出会い

大学卒業後、前妻に誘われて、一緒に自宅でサロンを開くことになった。
そしてその前に、僕はリラクゼーションサロンに修行しに行くことにした。

そこではリフレクソロジー、タイ古式マッサージ、もみほぐしのメニューがあり、
それらを覚えた。1年弱しかいなかったが、ずいぶんいろんなお客さんがいた。

そこでは、仲間のセラピストたちの入れ替わりが激しく、
身体を壊す人も多かった。

お客さんに直接喜んでもらえる仕事だけに
とてもやりがいも楽しさも感じていた反面、
「これは何かがおかしい」とも感じていた。

その後、神奈川県相模原市でリラクゼーションサロンをオープンするも1年半ほどで閉店。
色々ありすぎて端折るが、3.11の時に茨城で被災し、北海道に移住。

移住してから、2014年頃に「整体院・エステサロン こころホッと」を開店。
毎日満員御礼の状態が続く様になる。

働きすぎてちょっと疲れる。
エステで脱毛を始めて、少しずつうまくいき始める。

2017年、本田健さんの「次元上昇プログラム」に参加する。
そこで他の参加者の人たちから、
「ヒロは絶対タカに会ったほうがいいよ!!」と何人にも言われ、
たまたま座った席の前の席に座っていた、LEC創始者の三上隆之さんに出会う。

その次の年の2018年、LECベーシックセミナーが開講されると聞き、受講する。

本田健さん・三上隆之さんと。2024年、三上隆之さんの出版記念講演会にて

僕がLECに惹かれた理由

「最高のあなた」に出会いたい

これもいくつかあると思うけど、僕の大きな願いとして、
「どの人もありのままで自由に生きて欲しい」
というものがある。

それは、
「誰かが誰かをコントロールするのはナンセンスだ」
という感覚から来ている感じ。

僕はLECは
「人々が心身ともにより楽に、健康になり、自由になれるツール」
だと思っている。

僕は「自由」になりたかった。
とても自由を求め、自由に憧れていた。
何かに縛られるのは嫌だった。

LECはそれを叶えてくれるものだった。

整体師になり、身体から探求を始めたけれど、
結局、身体を治していくためには、
内臓や自律神経の状態を良くしてかなければ行けなかった。

内臓や自律神経を良くしていくには、
日常の生活が乱れていると、なかなか治っていかなかった。

日常の生活を作っているのは、
その人の思考や感情といった、
コンピュータで言えば「ソフトウェア」の部分だった。

「肉体」という「ハードウェア」を治したいと思っていたけれど、
そのためには「精神・メンタル」という「ソフトウェア」にもアプローチが必要だった。

これまで、いろいろな整体、心理学、コーチングなどのセミナーに参加して、
断片的に「肉体は肉体だけ」、「メンタルはメンタルだけ」を扱って、
それぞれを調整する方法は学んできたけれど、
結局すべてを一つの理論の中で扱うことはできなかった。

でも、LECはそれができた。

僕は身体から入って、メンタルを扱うようになり、
LECは人間のすべてを統一的に、ホリスティック(全人的)に扱うことができる、
僕が現在知りうる限りのひとつの到達点だと感じている。

だから僕はLECを選んだし、
これ以上に統合的に「人を診る」ということをしている体系を知らない。

整体から入って、筋肉、骨格、内臓、神経と扱い、
メンタルはメンタルで精神・心理についても別で学んできた。

でも本当は20歳の頃に出会った通り、
「心身一如」であるはずだから。

ずっとその糸口を探していた。
それはタカさんが既に体系化してくれていた。

きっとこれでたくさんの人がもっと囚われから自由になり、
本当に「その人も気づいていない、最高の人生の可能性を引き出していける」と思った。

僕自身ももっと最高の人生を描き、
クライアントの最高の人生をサポートし、サポートし続けられると感じている。

そうなったら、とっても幸せだな、と思う。

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